第2回 <本の構造> 担当 野呂 聡子
写字生
西欧中世を通じて「本」とは専らキリスト教の福音とラテン語習熟のためのものであり、神聖な勤めのひとつとして、修道士によって生産されていた。
8世紀にカール大帝下で設けられた写字学校の規則には、以下のような一節がある。
「本を書くことは葡萄を植えることにまさる。葡萄を植える者が胃袋に奉仕するのに対し、本を書く者は魂に奉仕するからである」
修道院には図書館や写字室が設けられ、本の相互貸借や他院への写本の贈呈が行われた。
大規模な修道院の中には、羊皮紙の製造、写字生による筆写、頭文字や枠の装飾、挿し絵、製本といった行程の全てを行う所もあった。
12世紀に民間の写本工房が現れると、それぞれの行程を専門の職人が担い、ラテン語以外で書かれた文芸作品や歴史書も生産されるようになった。